大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和34年(ネ)40号 判決 1960年3月31日

控訴人(被告) 愛媛県教育委員会

被控訴人(原告) 真鍋ハル子

原審 松山地方昭和三三年(行)第五号(例集一〇巻一号12参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取り消す被控訴人の請求を棄却する訴訟費用は第一審第二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、

被控訴代理人において

控訴人の当審主張事実中被控訴人従来の主張に反する部分を否認する。殊に

(一)  控訴人主張事実中第一、一、(イ)の点に関して、

被控訴人の家族は岳父富吉、次女照美の三人家族であること(但し昭和三十三年三月当時には夫荒太郎も生存していた)、長女が昭和二十三年訴外伊藤寛一と結婚して以来、長女夫婦と共に控訴人主張の宅地上にあるその主張の住宅に同居している事実は認めるが、その余の事実は否認する。富吉名義の田八反一畝二十三歩畑一反四畝が存することは認めるが、そのうち田約七畝及び畑約八畝はそれぞれ真鍋土次郎(荒太郎の実弟)及び河野岩右衛門に譲渡されており、残りの田、畑約八反歩は伊藤寛一夫婦が耕作収益している。そして、同人らは飯岡村においては中の下程度の農家である

(二)  同上第一、一、(ホ)の点に関して、

控訴人主張のころ被控訴人が残務整理のため登校したことはあるが、学籍簿の整理等は、年度末には全教員が行うものであり、退職するために特に行つたものではない。

(三)  同上第一、二の点に関して、

教員の退職願の年月日につき将来日付にて記載する慣例は、愛媛県においては全然ないのである。

(四)  同上第二の点に関して、

控訴人主張事実は認めるが、児童に対する挨拶、P・T・A及び町内の「有志」に対する挨拶は、退職の挨拶ではない。殊に児童に対しては「わけがあつて休むことになるが、遠からず必ず帰つて来るから。」と挨拶している。また同僚並にP・T・Aの催した送別会は、同年の異動で、玉津小学校から転出した人その他から転入した人のための歓送迎会である。またP・T・Aからの退職記念品(金一千円)は同年五月ごろ榊原校長宛返送している。免職辞令を異議をとどめず受領したのは、それが単なる紙片の授受にすぎず、また返戻しても意味ないと考えたからであつた。退職処分を承認する意図は毛頭有しなかつたものである。と述べ、

控訴代理人において、

当審において、控訴人は次のとおり、抗弁を追加する。

第一、被控訴人の退職願の撤回は、左記理由により、信義に反する撤回であるから、これを許されないと解することが相当である。すなわち、

一、(イ) 被控訴人は、岳父富吉次女照美の三人家族であるが、将来は長女和美に後継ぎをさせる心算りで、長女が昭和二十三年伊藤寛一と結婚して以来長女夫婦並孫と共に岳父富吉名義の宅地二百七十八坪地上に建ててある住宅建坪約四十九坪に同居し、田八反一畝二十三歩畑一反四畝を自作しておるもので、愛媛県下の農業経営からみても田地の平均耕作反別五反三畝に比べると遥かに多い耕作反別を有し、旧飯岡村においては自作農の中位に属する農家であり、充分に生活能力を有するものである。

(ロ) 被控訴人は、次女照美から今退職しては困るといわれたので退職願を撤回することになつたと主張しておるけれども、退職勧奨を受けたときから退職願を提出するまで約二週間の期間があるのであるから、次女の開業等の特殊事情をも考慮に入れ同居中の長女等とも相談した上で、退職願を提出するに至つたものであるとみるのが相当であり、その後退職願を撤回しなければならないような特別な家庭事情の変更のない事実と後記の如き事情を綜合すれば、本件撤回は、次女との話合の結果飜意したものではなく、真実は西条市教員組合(以下市教組と略称する)が年度末人事異動斗争の一環として、被控訴人にかゝる挙に出でしめたものとみるべきである。

(ハ) 被控訴人は、三月二十五日喜多川課長からの電話による退職問合せの際、榊原校長から「仮令転勤してもやめない方がよいのではないか。」と注意されたのに対し「大町でも転勤はいやだ、退職した方がよい」と断つている。

(ニ) 被控訴人は、同日退職願を榊原校長に提出した際「第三者がいろいろ言つても、私はやめると決めたのですから、他の人のいうことは、一切取り上げないようにして下さい」といつて暗に市教組等の抗議その他の申し出があつても取合わないよういうていた。

(ホ) 被控訴人は、退職願提出後の三月二十六日から同月三十日まで残務整理のため登校していた。

(ヘ) 三月二十六日午後三時頃、市教組より残務整理のため登校していた被控訴人に対し、市教組に来るよう再三の電話要請があつたのに対し、被控訴人は「やめると決めたのにしようがない。今更組合に行つてもしようがあるかね」と行く気がなかつたものであるが同僚から行つた方がよかろうと勧められて市教組に行くことになつたものである。

(ト) 被控訴人は、三月二十八日大町小学校で市教組幹部や木原弁護士等と撤回について相談した結果本件内容証明郵便を出すことになつたが、同日市教組から学校に帰つて来た被控訴人は宿直の村上教諭に対し「村上先生大変なことになる。こんなことをするのではなかつた。私はきれいにやめたかつた。こうなつたら組合のために山へでも行かないといけない」というて暗に市教組からそそのかされて退職願の撤回をすることになつたことを告白した事実がある。

二、原審において控訴人が主張した(原判決事実摘示中控訴人主張事実(二)(4))ように、教職員の人事行政は一般公務員の場合に比較すると、想像以上に複雑な手続をふまなければならないところ、西条教育事務所は、三月二十六日午後西条市教育委員会より退職勧奨を受けていた被控訴人からの退職願を、内申書と共に受取ると、既に三月三十一日の年度末教員異動の時期が切迫しておるので、直ちに右退職願に基ずいて被控訴人が退職するものとして年度末異動計画に織込み、管理主事井上巻太は、新居浜市教育委員会と交渉し新居浜市高津小学校教諭松本忠之を被控訴人の後任として転任せしめることとし、これに関連する人事異動の手続を進め、転入側、転出側の市町村教育委員会は、それぞれ委員会を開催して人事を決定し、その内申を得て三月二十八日管内の人事異動を内定し、二十九日異動原案を作成し翌三十日朝控訴人にこれを提出したので、控訴人は同日開催せられた臨時教育委員会に異動原案を附議決定し、三十一日他の人事異動と共に、被控訴人の退職が発令せられたのであるが、控訴人が被控訴人の本件退職願撤回の意思表示を受けたのは三月二十九日であり、既に控訴人が県教育界の人事刷新のため年一回行われる年末大異動計画に基ずき異動原案を決定した後であるから、かゝる退職願の撤回を許されるものとすれば、退職願を前提としてなされたこれら一連の手続は一切徒労に帰し、被控訴人の恣意、いな、市教組の人事異動斗争のため、行政秩序が犠牲に供せられる結果となるので、被控訴人の本件退職願の撤回は叙上一、二記載の如き特段の事情があるから信義違反行為として許さるべきではない。

第二、仮に右抗弁が理由ないとしても、被控訴人は、三月三十一日付発令した依願免職辞令を四月一日に異議をとどめず受領し、同僚並に児童に対し退職の挨拶をなし、P・T・A及町内の有志に対し退職の挨拶廻りをなし、同僚並にP・T・Aの催した送別会に出席し、またP・T・Aからの退職の記念品(料)を受領しておる事実からすれば被控訴人は、退職願の撤回のそのまた撤回をして免職辞令を異議をとゞめず受領したものといわなければならないから被控訴人の本訴請求は失当である。

と補陳し、

たほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(立証省略)

理由

被控訴人は、愛媛県小学校教諭として勤続三十年に及び、昭和二十八年四月以降西条市立玉津小学校に勤務していたところ、昭和三十三年三月十一日より同月二十五日までの間、数回に亘り、西条市教育委員会学校教育課長喜多川力、西条教育事務所長赤星明及び同事務所管理主事井上巻太よりそれぞれ退職勧奨をうけたこと、その結果、被控訴人は、右同月二十五日に至り、「私一身上の都合により退職致したいので、御許可下さいますよう御願い致します。」と記載した同月三十一日附控訴委員会宛の退職願書を作成し、玉津小学校校長榊原茂利雄にその提出方を依頼したこと、右退職願は、翌二十六日右榊原茂利雄により西条市教育委員会を通じて、控訴委員会の出先機関である西条教育事務所に提出されたこと、被控訴人から、西条市教育委員会委員長加藤浅次郎に対しては、同月二十八日午後〇時から同六時までの間に到達の書面をもつて、控訴委員会代表者委員長竹葉秀雄に対しては、翌二十九日午前八時から同十二時までの間に到達の書面をもつて、それぞれ右退職願の撤回方の申入があつたこと、西条教育事務所は、右二十九日西条市教育委員会委員長提出の内申にもとずき、被控訴人の免職発令の原議を作成し、翌三十日県教育長大西忠の決裁を経て、同日臨時に開催された控訴委員会にその旨報告し、控訴委員会は、これを承認して三月三十一日に被控訴人に対し、「願によりその職を免ずる。」旨の免職発令をなし、翌四月一日西条市教育委員会を通じて、被控訴人に右辞令を交付したこと、被控訴人は、控訴委員会が被控訴人に対してした右免職処分につき、昭和三十三年五月九日愛媛県人事委員会に対し、不利益処分審査の請求をしたところ、同委員会は、同年八月一日被控訴人の右請求に対し、「控訴委員会のした右依願免職処分を承認する。」旨の判定をしたことはいずれも当事者間に争がない。

一、そこで、被控訴人は、その提出にかゝる右退職願は、強迫による無効の意思表示である旨主張し、控訴人はこれを争うので、まずこの点につき判断する。

私人の意思表示たる公法行為にあつても、強迫によりその意思を欠く場合には、当然無効と解すべきところ、各成立に争のない甲第三号証及び同第十二号証の各一部、いずれも成立に争のない甲第五号証ないし第七号証、乙第一号証の一、二に、原審並に当審証人喜多川力の各証言の一部、原審並に当審証人赤星明、同井上巻太、同榊原茂利雄の各証言及び原審並に当審における被控訴本人の各供述の一部を綜合すると前記喜多川力は、西条市教育委員会の立場から、また赤星明、井上巻太は、控訴委員会の出先機関である西条教育事務所の職員として、控訴委員会が決定した昭和三十二年度末教員異動方針に則り、西条市内小学校における女子教諭のうち、最高年齢者であるうえ、健康的にも左眼は殆んど失明に近い被控訴人(当時五十二才)に、勇退を求めるのが適当と判断し、昭和三十三年三月十一日頃右喜多川力、井上巻太がそれぞれ個別的に、同月十九日頃右喜多川と赤星明が共同して、同月二十三日頃にも前両名が、いずれも面接して、更に同月二十五日には喜多川が電話を通じて、被控訴人に対し退職勧奨をしたこと、当時被控訴人は、家庭に八十四才になる夫の父富吉、早発性痴呆症の夫荒太郎、殆んど両眼とも失明に近い次女照美を抱えて、一家の生計を維持していたこと、前記勧奨者等もこの事情を知悉していたこと、勧奨にあたり、右勧奨者等は、被控訴人に対し、後進に道を開くことを強調し、殊に喜多川は、もし被控訴人が勧奨に応じないときは、同年四月以降通勤不可能な西条教育事務所管外(同管内は、西条市、新居浜市、新居郡、宇摩郡、伊予三島市、川之江市。)に転勤さざるを得なくなる旨言明しており、その他病気勇退とか、退職すれば四号俸昇給させる等の優遇措置につき話があつたこと、これに対し被控訴人は、自己の退職が家計に及ぼす影響を考慮して、右勧奨をできるだけ拒否し続けたが、唯病気退職の場合、退職手当が高額であるところから、病気退職になるなら退職しても良いと考え、眼科医の診断を求めたが、病気退職に該当する程の眼疾ではなかつたこと、しかしながら、右喜多川が前記二十五日に、電話を通じて被控訴人に対し最後の退職勧奨をした際、被控訴人が勧奨に応じない場合には他校に転勤させられることの必至であることが明らかとなるや、被控訴人は、目が悪いうえに、年令的にも今更転勤するのは困ると考え、右三月二十五日に心進まぬながら退職を決意し、右榊原校長が同校事務員をして作成させた退職願の被控訴人名下に押印し、右校長に退職願の提出方を依頼して帰宅したこと、その夜、次女照美に被控訴人が退職しなければならなくなつた旨打明けたところ、同女より「お母さんに今退職されては困る。」と泣きつかれたので、自己の置かれている現在の立場を今一度考え直し、よし他校に転勤させられても現職に留まらねばならぬと考え、退職願の撤回を決意した事実を認めることができ、甲第一号証の一の記載、同第三号証、同第十二号証の各供述記載、原審並に当審証人喜多川力の各証言及び原審並びに当審における被控訴人本人の各供述中右認定に反する部分は前示各資料に対比してたやすく採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。右の事実によれば、被控訴人がその主張のように勧奨者の強迫により全く意思の自由を奪われた状態のもとに、退職の意思表示をなしたものとは考えられず、被控訴人の右主張は採用しない。

二、次に、被控訴人は、前示のように被控訴人の提出した退職願は昭和三十三年三月三十一日付となつているから、右期日が到来しなければ退職願としての意思表示の効力が発生しないのである。それ故それ以前ならば自由に右意思表示を撤回しうるのである。仮りにそうでないとしても、右撤回の申入当時、控訴委員会は未だ人事異動に関する行政手続未了の状態にあり、殊に、退職発令の原議も作成していなかつたのであるから、この段階においては右退職願の撤回は自由にこれをなしうるものと解すべく、被控訴人の右退職願はその撤回により失効したものである旨主張し、これに対し、控訴人は種々抗弁するので順次判断する。

(一)  控訴人は、被控訴人のなした文書による退職願の撤回が、被控訴人の真意にもとずかないものと認められるから無効であると抗争するので、この点につき検討するに、いずれも成立に争のない甲第一号証の一、同第三号証、同第六号証、同第九号証、同第十二号証、同第十九号証、乙第二号証の一、二、並に原審並に当審証人喜多川力の各証言の一部、原審並に当審証人森行雄、同榊原茂利雄の各証言及び原審並に当審における被控訴本人の各供述を綜合すると、被控訴人は、前認定のように、三月二十五日夜、退職願の撤回を決意し、翌二十六日西条市教員組合書記長森行雄をはじめ、組合関係者の協力を得て、口頭により、同二十六日夕方組合役員田坂某外一名を介して、前記榊原校長に退職願撤回方の尽力を依頼し、また翌二十七日に、右森行雄を介して前記喜多川力に対し、退職願の撤回を申し入れたばかりでなく、被控訴人は、単独で右二十七日前記榊原校長宅に赴き、同人に退職願の撤回方の尽力を要請していること、更に被控訴人は、翌二十八日愛媛県教育委員会委員長竹葉秀雄宛の退職願取消の申入と題する自己名義の文書に押印して発送した事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。なお、控訴人は、被控訴人が免職辞令を異議を留めないで受領していることなどを目して、右退職願撤回の意思表示が被控訴人の真意にもとずかないことの証左であると主張し、右事実が当事者間に争のないこと後記のとおりであるが、しかし、ただ、右のような事実が存するからといつて、直ちに被控訴人の退職願撤回の意思が真意にもとずかないものであるとなしえないこと、後記説示のとおりである。してみると右認定の各事実と前認定の被控訴人が退職願の撤回を決意するに至つた経緯及び原審並に当審における被控訴本人の各供述を綜合すると、控訴委員会に対する前記退職願撤回の申入は、被控訴人の真意によるものというべきである。よつてこの点に関する控訴人の抗弁は採用しない。

(二)  次に控訴人は、被控訴人の退職願は次のような理由によつて、その自由な撤回は許されないものである旨抗争するので順次に判断する。

(1)  控訴人は、被控訴人の退職願は、それが控訴委員会の出先機関である西条教育事務所に提出された昭和三十三年三月二十六日にその効力を生じたものであつて、退職願の日付を同年三月三十一日としたのは、本件退職が同三十二年度末教員大異動の一環として行われた関係上、同年三月三十一日付の発令と形式的に符合させるため、従来の慣例に従つたに過ぎないものであつて、同期日到来までは退職願の意思表示は効力を発生しない趣旨のものではなく、また同日までは右退職願を自由に撤回しうるとの被控訴人の主張は理由がない旨抗争するので検討するに、成立に争のない乙第六号証によるも、退職願の日付をいかなる日にすべきかの点を定めるべき取扱基準を認められず、原審証人榊原芳利雄、同大西忠の各証言及び原審における被控訴本人の供述を綜合すると、被控訴人に対する免職の処分は、昭和三十三年三月三十一日になされることが予想され、それ以前の発令ということは予想していなかつたので、退職願についてもその日付を記載したものであることが認められる。そうすると、他に反証のない限り、その退職願によつては被控訴人の不利益になるべきこの日付以前の免職発令をすることはできない趣旨のものであるばかりでなく、それは同意書の日付であるから、退職願として免職に対する同意の効力は、その日付のときに生ずる趣旨と解するを相当とする。そこで公務員の退職願の撤回がいつまで許されるかは、この点につき明文の規定を欠ぐ現行法の下では、一般法理上の見地からこれを決定しなければならない。この見地から考えるに退職願の提出者に対し、免職辞令の交付があり、免職処分が提出者に対する関係で有効に成立した後においては、もはやこれを撤回する余地がないと解すべきことは勿論であるが、その前においては、退職願は前示免職に対する同意の効力を有するほか、それ自体で独立に法的意義を有する行為ではないから、これを撤回することは原則として自由であると解するを相当とする。よつてこの点に関する控訴人の主張は採用しない。

(2)  次に控訴人は、私人の行政庁を相手方とする公法上の行為は、行政庁が私人の行為に副う処分をした場合において、私人が行政処分の効果を消滅せしめる自由を留保している場合(例えば営業の許可を受けてこれを廃止できる場合)を除いては、行為者はその行為による拘束を受け爾後に至つて自由にこれを取り消しまたは撤回し得ないものと解すべきところ、本件退職願は右のような留保付の場合には該当しないから、撤回は許されないものである旨主張するけれども、控訴人の主張するような事項を定めた法規は存しないばかりでなく、退職すなわち本人の意思にもとずく免職について地方公務員法にその規定なく、同法第五条による条例においても定めるところがない。しかし、がんらい地方公務員が任用せられるのは、法の規定による義務にもとずくものでなく、本人の志願によるものであるから、その意思によりこれを辞しうべきことは当然であつて、地方公務員法第二十七条第二項の文言によつても、免職処分のなしうべきことはうかがいうるのであるが、右免職処分が本人の意思にもとずいてなさるべしとする以上、一旦退職願が提出された場合においても、免職処分がなされるまでにこれが撤回された場には、その処分をなしえないものとすべきこと、本人の意思によるとする趣旨より当然というべく、もしこれが撤回を許さないものとすれば、実質において本人の意思に反する免職処分となるから、処分がなされるまではこれを撤回しうるものと解しなければならない。よつてこの点に関する控訴人の主張は採用しない。

(3)  控訴人は、公務員の退職を希望する退職願は、行政庁のこれに対する免職の発令によつて、その地位を喪失するものであつて、この発令を求める意思表示は退職の申込または免職処分に対する同意にほかならないものであり、民法第五百二十一条第一項の承諾の期間を定めてした契約の申込と同視すべき性質のものであるから、右退職願には、同条項が類推適用される結果、被控訴人は右三月三十一日まで右退職願を撤回できない拘束を受けているのであるから、これに反する被控訴人の撤回の意思表示は無効である旨抗弁するので検討するに、民法の右条項は、承諾の期間を定めた契約の申込を受けた者は、所定の期間内に調査その他の準備をするのが普通であつて、申込者において任意にその撤回ができるものとすると、相手方に不測の損害を蒙らせる虞があることを理由とするものであり、公務員の免職処分は、それが国家公務員であると地方公務員であるとを問わず、退職者の同意を要件とする任免権者の一方的行政行為であり、退職願は、右の同意をたしかめるための一手続に過ぎない、と解すべきであるから、公務員の退職願と期間の定めある私法上の契約の申込とは、これを同視できないばかりでなく、本件の退職願は、退職についての同意としても、昭和三十三年三月三十一日にその効力を生ずる趣旨のものと解すべきこと、前説明のとおりであるから、同意としての効力を生じていない以前に右意思表示を撤回することは、全く被控訴人の自由であるというべきであつて、控訴人の抗弁は採用しない。

(4)  控訴人は、被控訴人のした退職願の撤回は、信義に反するものであるから、これを許されないと解することが相当である旨(当審主張事実第一)主張するので検討する。

一、いずれも成立に争のない乙第七号証ないし第二十一号証と、原審並に当審における被控訴本人の各供述の一部並に弁論の全趣旨によると、被控訴人の家族は岳父富吉、次女照美の三人家族(但し昭和三十三年三月当時は夫荒太郎も生存していた)であるが、長女和美が昭和二十三年訴外伊藤寛一と結婚して以来、被控訴人は、長女夫婦と共に、岳父富吉名義の宅地二百七十八坪地上に建てある住宅建坪約四十九坪に同居して、田八反一畝二十三歩畑一反四畝歩を自作しているもので、居村の旧飯岡村においては自作農の中位に属する農家であつて、長女の夫寛一左官を兼業して月収五、六千円を得て共に生活していることが認められる。しかしながらまた右被控訴本人の各供述によると、昭和三十三年三月当時、被控訴人は八十四才の岳父富吉、五十六才の夫荒太郎、次女照美を扶養していたのであるが、岳父は老齢であり、夫は昭和三十三年十月死亡に至るまで二十数年来前記のような病気で煩わされていたものであり、また次女は眼が不自由で盲学校に入学していたが、当時卒業したので、開業させてやらねばならないが、設備費として相当多額の出資を要するものなること、また同居中の長女夫婦の間にも四名の幼児がいることが認められるので、これらの事情を考え合すと、被控訴人の退職による収入減が直ちにその生計に大きな影響をもつものとはいえないとしても、長い間わずらつてきた夫を失つた後、老父の世話と不具の次女の処遇等の点を考え合すと被控訴人の家庭事情は生計上も必ずしも順当とはいえない。

次に控訴人は、被控訴人が退職願を撤回したのは、次女との話合の結果によるものではなくて、西条市教員組合(市教組と称する)の年度末人事異動斗争の一環として同市教組からそそのかされたがためである旨主張するので判断するに、原審並に当審証人喜多川力、同赤星明、同井上巻太、同森行雄の各証言及び原審並に当審における被控訴本人の各供述並に弁論の全趣旨によれば、被控訴人は退職勧奨を受けたときから退職願を提出するまで約二週間の期間があるので、その間次女の開業等の特殊事情をも考慮に入れ、同居中の長女等とも相談した上で退職願を提出するに至つたものとみられること、その後特別な家庭事情の変更もないこと、及び被控訴人の本件退職願の撤回につき市教組の関係者において種々あつせん、協力したことが認められるけれども、被控訴人において右退職願を撤回するに至つたのは、前叙のとおり、昭和三十三年三月二十五日榊原校長に対して退職願の提出方を依頼して帰宅した日の夜、次女との話合の結果家庭の都合上やむを得ず飜意したことによるものと認めるのが相当である。もつとも原審並に当審証人榊原茂利雄、当審証人村上道男の各証言中控訴人の該主張に副うような部分があるけれども、右各証言によるも、被控訴人は性質がおだやかな人物である半面、多少自主性に欠けるところもあつて、本件退職勧奨を受けて退職願を提出し、またこれを撤回するに当つても、色々迷つていたため、時にその言動においても必ずしも徹底していないものがあつたことが窺われるので、該事情並に前示各資料に対比すれば、前示証言部分はたやすく採用し難く、他に控訴人の該主張を肯認するに足る資料はない。

また控訴人は、被控訴人が退職願提出後の三月二十六日から同月三十日まで残務整理のため登校していた旨主張し、当審証人村上道男の証言によれば、該事実が窺知できる。

しかれども、以上のような事実関係並びにその他控訴人主張のその余の点を勘案するも、被控訴人のした本件退職願の撤回が信義に違反すると認められるような特別の事情ありとはいえない。

二、次に控訴人は、私人の行政庁を相手方とする公法行為は、この行為により公法上の秩序がある程度形成されたあかつきには、もはやその撤回は許されないと主張するが、およそ私人の行為は、これにもとずきすでに行政処分が行われた後においては、これを自由に撤回できないこともとよりであるが、行政処分が行われるまでは、自由にその撤回が許されるものと解すべきことは、右行政行為が私人の意思にもとずいてなさるべしとする趣旨より当然というべきである。

控訴人は、右退職願の撤回を許すにおいては一般公務員の場合に比較して、想像以上に重大なる行政事務の支障が起るというが、原審並に当審証人喜多川力、同赤星明及び同井上巻太の各証言を綜合すると、被控訴人の免職処分は、昭和三十二年度末の愛媛県下の教職員の大異動に関連して行われたものであり、被控訴人から昭和三十三年三月二十六日退職願が提出されるや、直ちに西条教育事務所においては、同事務所に勤務する愛媛県教育委員会管理主事井上巻太をして、被控訴人が退職することを前提として、被控訴人の後任として新居浜市から松本忠之を玉津小学校へ転任させるべく、新居浜市教育委員会に交渉してその諒解を得せしめ、これにもとずき、西条教育事務所管内の教職員異動原案を作成すべき準備したことが認められ、右は行政庁部内の準備行為に過ぎないとはいえ、被控訴人の退職願の撤回を許すことにより、事務的に多少の混乱が生ずることは予想に難くないところであるが、すべての証拠によつても、そのために右年度末の三千数百人に上る県下全体の教職員の人事異動に支障を来し、新年度の授業開始が不可能になるような事態の生ずる虞あることは認められないばかりでなく、元来被控訴人は、地方公務員であるから、地方公務員法第二十七条により同法第二十八条、第二十九条に規定する事由の存する場合を除き、その意に反して免職されない保障を有するものである。これらの事情と前記一、に認定の事情とを併せ考えてみるに、被控訴人のした本件退職願の撤回が信義違反の行為に該るとはいえない。よつて控訴人の信義違反の抗弁は採用しない。

(5) 控訴人は、被控訴人が本件免職辞令を昭和三十三年四月一日異議を留めず受領し、その後、同僚、児童及びP・T・A役員等に対し、退職の挨拶をしたのみならず、同僚、P・T・A共催の送別会に出席し、P・T・Aからの退職の記念品料を受領し、更に退職に伴う昇給差額金等を受領している事実をもつて、結局被控訴人は、退職願の撤回のそのまた撤回をして退職希望の意思で右辞令を異議をとどめず受取つたものといわねばならないから、被控訴人の本訴請求は失当である旨主張し、当審証人村上道男の証言並に弁論の全趣旨により、右辞令受領等の事実が認められるけれども、前認定の被控訴人の退職願の提出及びその撤回の経緯並に原審並に当審における被控訴本人の各供述によると、被控訴人は、形式的にもせよ一応控訴委員会の免職辞令が発令され、被控訴人のためにそれにもとずく種々の行事がなされるのに抗し切れず、それに追随したにすぎないことが認められ、原審並に当審証人榊原茂利雄の各証言中右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はないから、控訴人の右主張も採用しない。

そして、被控訴人の退職願撤回の意思表示が、控訴委員会に到達したのは、昭和三十三年三月二十九日であることは前示のとおりであり、当時控訴委員会が被控訴人に対し、いまだ免職発令をしていなかつたことは当事者間に争がないところであるから、被控訴人の退職願は、有効に撤回されたものというべきである。

そうすると、控訴人が被控訴人に対し昭和三十三年三月三十一日付でした西条市立玉津小学校教諭の職を免ずる旨の本件免職処分は、前提要件を欠き、その瑕疵は重大かつ明白であるから無効というべきである。しかして控訴人は、被控訴人に対する右免職処分が有効である旨抗争するのであるから、被控訴人は即時右処分の無効確認を求める利益があること勿論である。したがつて、本件免職処分の無効確認を求める被控訴人の本訴第一位の請求は、被控訴人その余の主張につき判断するまでもなく理由があるから、これを認容すべきものとする。

以上認定の範囲において右と同一結論に出た原判決は相当にして本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法第三百八十四条第八十九条第九十五条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 谷弓雄 橘盛行 山下顕次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例